彼女の心を覆い尽くしていたのは、一言で言うなら「不安」であった。心の中の思いを家族や同僚や生徒たちに隠すことに懸命になればなるほど、不安は膨らみ、同時に身体も精神も消耗していった。人に本当の自分の思いを知られたくないとの思いが強く、医者にさえ助けを求めることを拒み続けた。そして、ますます人から離れていくことで、孤独感にも襲われるようになった。
そして、定年までの年数を数えたとき、それからの約二十年間をとても持ちこたえることができないと弱気になった。生き恥をさらす前になんとか人知れずこの世から消え去ってしまえないものか、とも思うようになっていったのである。生活の中から楽しみや喜びが感じられなくなり、不安の中でまさにベールをとおして外界を見るような感覚をもつようになり、頭の中で回り続ける考えは、いつも「自分」のことばかりであった。食べ物も「うまい」と思うことはなくなり、鏡の中の自分の姿も貧相さがましていった。
また、彼女は、カトリックのクリスチャンとしての洗礼をうけていたが、当時の彼女と信仰との間には大きな隔たりがあった。その苦しみを解決してくれるものとして、信仰は意識に上ってくることもさえもなかったのである。
以上が、中年の危機を迎えた当時のK女史の姿である。(つづく)