2015年11月7日土曜日

覚書 自律(Autonomy)の時期の発達(8ヶ月〜2歳半) その③

 さて、何らかの依存症(アディクション)を持つ人との面談では、この時期の体験がまず気になるところです。依存症(アディクション)の定義の一つは、「何か心地よいことへの逃避」です。

 大人になって何事にも好奇心がもてず衝動が感じられない人は、アルコールや薬物、ギャンブルなどで空虚さを埋めたくなるからです。また、衝動を止められて気分の悪い人も何か心地よいことをつい求めてしまいます。

「性格構造」の形成を具体的に考えていくとき、乳幼児時期の母子関係の重要さを認めざるを得ません。なお、12歳までに性格構造はできあがるとボディナミックスでは考えています。


【注意】ボディナミックスCharacter structures(性格構造)について詳しく知りたい方は、HPの[参考文献・資料]を参照してください。このブログでは、私個人が理解していること・語りたいことを書いています。ご了解ください。

覚書 自律(Autonomy)の時期の発達(8ヶ月〜2歳半) その②

 健康に生まれた600名の赤ん坊たちの追跡調査をまとめたものが、ボディナミック「性格構造」と呼ばれるものです。

 自律の時期を例に挙げます。この短い期間の前半分の時期に幼児にとって何らかのショッキングなな体験があると「ある偏り」を持つようになり、後半分の時期にショッキングな体験があると「また別の偏り」を持つようにとなります。

 さて、この時期には、どのような性格の偏りを持つようになるのでしょうか。このような体験を持つ幼児が大人になっていくと、どのような人になるのでしょうか。

 少しだけ例をあげてみます(資格講座の学びより)。

前期タイプの人の偏り:衝動や感情を簡単に失ってしまう。空っぽでポカンとした状態に入ることがある。居心地の悪いことがあると行動で逃げる。助けてもらうと言うことが分からない。衝動は強いがそれが何なのか認識が持てない。何か上手くいかないと、自分が悪いと思いがちである。批判に弱い。他者のコントロールを敏感に感じ取る。外からの刺激がないと反応しない。人の衝動にはすぐに気づくので、人が何をしたいのかはすぐに分かる。人の手助けは上手であるが、自分から「助けてください」というと仕事が増えるようでなんだか面倒くさい。

後期タイプの人の偏り:心地よくない感情を避けるために、居心地が悪いことがあると言葉で逃げる。助けてもらう自分には価値がなく、自分には助けはいらない。主導権を握って行動していないと自己価値がない。おしゃべりで多くの衝動を持っている。失敗しても絶対にめげない。他の人に「そうですね」と同意したら自分がなくなる感じがする。自分の問題を否認する達人でもある。いつも活動的で忙しくしている。目の前に見えないものは頭からなくなり、恩を忘れやすい。自分に自信が持てない。人とつながると自分を失うという恐れを持っており、コミットメント(人と関わり合うこと)/約束事(友情・結婚・住居・役職・恋愛など)ができない。あらゆる状況をコントロールしたい。親密な関係に入る場合には、「私がいないとあなたは生きていけない」ようにコントロールする。

 偏り具合にはさまざまな程度があるかと思いますが、思い当たることがある/ないでチェックすると、大雑把にどちらタイプか分かるかと思います。

 もちろん、偏りのないバランスの取れた状態(=健康的な状態)もあります。「自分自身の衝動や感情に気づいており、そのことを知りながら行動できる」ならば、健康的な状態の人と言えます。


【注意】ボディナミックスCharacter structures(性格構造)について詳しく知りたい方は、HPの[参考文献・資料]を参照してください。このブログでは、私個人が理解していること・語りたいことを書いています。ご了解ください。

覚書 自律(Autonomy)の時期の発達(8ヶ月〜2歳半) その①

 この時期の幼児は好奇心と衝動を持つようになり、「あっ、あっ」といって人差し指で何かを指しては、それによたよたと向かっていきます。親は、幼児の後を追って動き回り疲労困憊します。転んで擦り傷を作ったりして目が離せない時期です。

  その子の好奇心と衝動をほっておかれたり、ストップをかけられるとどうなるでしょうか。その幼児は、衝動を失って諦めてしまうか、衝動を抑え込み不機嫌になります。

 ボディナミックス(Bodynamic system)では、この発達時期のテーマを「衝動と好奇心」と呼んでいます。繰り返しますが、「私には好奇心と衝動を持つ権利がある!」というのが8ヵ月から2歳半までの発達課題です。


【注意】ボディナミックスCharacter structures(性格構造)について詳しく知りたい方は、HPの[参考文献・資料]を参照してください。このブログでは、私個人が理解していること・語りたいことを書いています。ご了解ください。

2015年11月4日水曜日

覚書 スピリチュアリティにいて:一つの考え方 (追記2)

 スピリチュアリティに関する一つの考え方を明らかにしておきたい。

スピリチュアリティの定義の一つに、「スピリチュアリティは、人であれ物(もの)であれ、人生で最重要と思っていることとのかかわり方に関係が見られる」というのがある。

 この定義は、アディクションなどの行き詰まり状態からの回復と成長といった現実の問題との関連において、体験的にスピリチュアリティの理解を深めていく上では有用であるが、スピリチュアリティとは何かという意味を求めているときの答えとしては不十分であろう。しかし、この定義の意味する事は、次の考え方の中で大きな意味を持ってくる。

 スピリチュアリティには、三つの領域との関係を人がどのように持っているのかということと関連が見られる。その三つの領域とは、「自分自身」と「他の人々」と「宇宙」である。また、「霊的成長とは、神と人と私の関係がきちんと三角形にできることいわれる*」とも表現される。この霊的成長の霊的とは、スピリチュアルと同義語である。つまり、スピリチュアルに成長していくという意味である。

 このように人の意識には宇宙(神)との関連が見られる、あるいはその反映がみられるととらえることで、スピリチュアリティは身近な存在となってくる。また、このようにスピリチュアリティをとらえていくと、スピリチュアリティは宗教と同義ではないことも浮上してこよう。


* この三角形の関係について、また回復と成長の歩みについては、「ホームカミング」の松尾セシリア女史から直接的また間接的に多くの学びを得ました。ここに記して、深く感謝申し上げます。

覚書 スピリチュアリティについて:日々の生活との関係 (追記1)

 スピリチュアリティとは、いったい何を意味しているのであろうか。この用語は宗教との関連において使われるもので、教育や自己覚知とは関係のないことなのであろうか。
 スピリチュアリティという用語は、宗教的と同義ではない。また、私たち一人ひとりの生活と関係がある。

 例えば、万人が逃れる事のできない問題として、死の存在がある。この事は、中年を迎えると現実的な問題として意識されるようになる。その思いは追い払っても、逃げ出しても決して離れていく事はない。そして、人は受け入れる事のできない出来事や現実の中で苦悶する。

 死は究極の喪失体験となるが、死なれたり死んだりすること以外にも、持っているものを失うという意味においては、若さや健康、体力、美しさ、家や財産、地位、名声、能力、信頼、愛情、恋人、家族、評判、仕事など枚挙にいとまがない。


 このような死やすべての人間という存在に伴う問題や苦しみは、その出来事や事実を認めて「受け入れていく」という事以外に解決の道はない。受け入れることができるまで心の平安は取り戻せないのである。そして、この受け入れていくことのプロセスは、スピリチュアルなプロセスといえよう。

覚書 スピリチュアリティについて:七つの意識世界 その③

 このようにスピリチュアリティをとらえていくとき、自分自身のあり方に目を向けて何に囚われているのか、あるいは人生の最重要事項は何かと自分自身への問い掛けを続ける事で、どのレベルの意識世界の住人であるのかが明確になることであろう。

 また、意識世界が広がっていくさまをイメージするとき、それは膨らんでいくゴム風船のようにも思える。このことを、人とのかかわりを通して眺めるとき、意識世界の広がりは、一人の孤独な世界から他の人々とつながっていくプロセスであり、さらに自然や宇宙(神)とつながっていく自然で調和に満ちた状態としてとらえることができよう。


 以上のことを考えるならば、例えば、出世しても預金高が増えてもそれだけではいっこうに幸せが増えないことの謎が解ける、かと思う。この謎解きに興味があれば、どの意識世界の住人かを再確認してみたいものである。

覚書 スピリチュアリティについて:七つの意識世界 その②

 この意識世界は、その広がりにより七つのレベルにわけて理解できる。それら七つの「意識世界」を次にまとめておく。

 「生存本能 (survival)」(食う、寝る、セックスなどのことが人生の最重要事項の意識世界)。「神経反応 (passion)」(心地よさを求め、心地よくないものから離れることが最重要事項の世界。好き、好きでない。暖かい、暖かくないなど何であれ心地よいものに寄っていくのである)。「エゴ/マインド (ego/mind)」(我欲が強く、策略を講じては「神経反応」と「生存本能」を保持しようとする。したがって、力による競争の世界でもある)。「受容(acceptance)」(自分自身や人の長所や短所、弱点を認めて受け入れていくことのできる意識レベル)。「理解 (understanding)」(苦しみや痛みの意味やメッセージを知っていこうとする意識レベル)。「愛 (compassion)」(苦しみを人と共にすることのできる意識レベル)。「統合 (unity)」(いろいろな“自分”が統合され、等身大で自然な自分自身といえる存在)。短くまとめると、以上が七つの意識世界である*。


* これらの意識世界の解釈は、回復施設ホームカミングの松尾アンドリュー氏と松尾セシリア女史から学んだ事をもとに再構成したものです。お二人に感謝申し上げます。

覚書 スピリチュアリティについて:七つの意識世界 その①

 「スピリチュアリティ」や「スピリチュアルな成長」を知的にどのように理解すれば良いのであろうか。人の目には見えない世界をどのように理解していけば良いのか。人の意識と宇宙(神あるいは霊魂)とは関連があるということを手がかりとして考えてみたい。

 スピリチュアリティを理解していく一つの視点として、人のあり方と行動を眺めてみることは可能であろう。そこで、ある人が「ある意識」をもって住んでいる一つの世界である、とスピリチュアリティを理解するなら、これら二つ関係は明確なものになってこよう。つまり、ある「レベル分けが考えられる意識世界」があり、その中のどこにその「ある意識」が存在しているのかが分かるなら、意識世界における位置関係も明らかになろう。


 ここでの「ある意識」とは、「人生で最重要」と思っていること、つまり、そのことを意識していようがいまいが、我々一人ひとりがもっている価値観のことである。自分自身と他の人々、宇宙(神)との関係を客観視することで、「意識世界」における存在場所も明確なものとなってくるのである。