2015年4月18日土曜日

ケース 人としての成長に向けて⑤


 鬱状態となって現れでた彼女の行き詰まりは、劇的に改善されていくのであるが、鬱から抜けでたという喜びのなかで「自己満足」がその後数年にわたり続くこととなる。自己満足とは、自分自身は満足するものの他の人には思いや行動が向かない状態のことである。

 そしてまた次第に、彼女は内面に目を向けるという方法によって教師としてまた援助者としての「力(power)」をつけていきたいと思うようになっていくのであった。まさにこの状態は、比較と競争の中で「力」を求めるという、あくまでも自己中心の世界といえよう。意識世界でいうなら、「生存本能(survival)」「神経反応(passion)」「エゴ/マインド(ego/mind)」ということになろう。元気を取りもどして教師としての活動をしていても、彼女の長年の「ものの見方」と他の人や物事に対する「姿勢」はさほど変えられてはいなかった。ただ彼女の心の中では、ある意味で大きな「地殻変動」のようなことが起き続けていたのである。


 その地殻変動とは、自分自身のなかであたかも冷凍状態であったような肯定的また否定的な感情が溶け出していくことであり、さまざまな思い込みに対する再検討と再構築が知的レベルと情緒レベルにおいても起きていたと思える。そして、自分自身にとどまらず他の人たちとのかかわりやその時々にもつ感情や思いも変えられ続けていたのである。(つづく)

2015年4月17日金曜日

ケース 回復への手がかり④


   さて、彼女が取り組みの目をまず向けたことは、彼女自身の父親と母親のことであった。「どのような人か、またどのような出来事がありどのような思いをもっているか」といったことを、父親と母親それぞれについて書き出した。そして、書き出したものを援助者とグループの仲間の前でそのまま読み上げ、フィードバックをもらう数回の機会を得た。「己を知る」具体的な取り組みの始まりである。


 その作業(セッション)を終えたとき、彼女をあれほどまでに苦しめ続けていた「不安」がなぜかその姿を消していた。また、同時にクリスチャンとしての信仰に目を向けるきっかけも得ていた。それは、「自分は何かに支えられている」との実感を伴う体験に恵まれたからであった。


 このことが起きたのは、取り組みを始めてからほんの数日間後のことであった。奇跡が起きたことのように思えるこの出来事は、彼女の中で正真正銘の変えようのない「事実」なのである。そして、その後「不安」の翳りのようなものを感じることが時々はあったものの、その翳りの正体を知っていくことを通して、その「事実」の意味がさらに明らかなものとなっていくのである。(つづく)

2015年4月16日木曜日

ケース 回復への手がかり③


 さて、不安とストレスの中で心身を消耗し続ける中で、元気さを装うことにも疲れ始めた頃、回復に向けての転機が訪れることになる。言葉通り、日ごとに身動きできなくなって行くのであるが、その時に神が彼女に差し伸べた手は、ある一人の回復中のアルコホーリク(アルコール依存症者)を通してであった。

 その行き詰まりに陥る数年前にたまたま知りあって友達となったその人物の導きで、彼女は自分自身に目を向ける取り組みをする機会を得ることとなったのである。それまでの知識やスキルに助けを求めることに疲れ果てており、その先に希望が見いだせないことを感じ取っていたこともあるが、外側ではなく内側に目を向けていくことの新鮮さに心を引かれていた。


 彼女には、新しいものには心を引かれるという傾向がある。それは、そのなかに人との競争に打ち勝っていく「力(power)」を感じ取るからなのである。このように、彼女にさし伸ばされた手を握る勇気はあったものの、その時点での動機としてはさまざまな欲(自分のニーズ)がみられる。しかし、ともかくこのことが、彼女のその後の回復と成長の大きな足がかりとなっていくのである。(つづく)

2015年4月15日水曜日

ケース K女史のプロフィールと行き詰まり②


 彼女の心を覆い尽くしていたのは、一言で言うなら「不安」であった。心の中の思いを家族や同僚や生徒たちに隠すことに懸命になればなるほど、不安は膨らみ、同時に身体も精神も消耗していった。人に本当の自分の思いを知られたくないとの思いが強く、医者にさえ助けを求めることを拒み続けた。そして、ますます人から離れていくことで、孤独感にも襲われるようになった。

 そして、定年までの年数を数えたとき、それからの約二十年間をとても持ちこたえることができないと弱気になった。生き恥をさらす前になんとか人知れずこの世から消え去ってしまえないものか、とも思うようになっていったのである。生活の中から楽しみや喜びが感じられなくなり、不安の中でまさにベールをとおして外界を見るような感覚をもつようになり、頭の中で回り続ける考えは、いつも「自分」のことばかりであった。食べ物も「うまい」と思うことはなくなり、鏡の中の自分の姿も貧相さがましていった。

 また、彼女は、カトリックのクリスチャンとしての洗礼をうけていたが、当時の彼女と信仰との間には大きな隔たりがあった。その苦しみを解決してくれるものとして、信仰は意識に上ってくることもさえもなかったのである。

 以上が、中年の危機を迎えた当時のK女史の姿である。(つづく)

2015年4月14日火曜日

私の覚書 ケース(事例) K女史のプロフィールと行き詰まり①

あるケースを紹介する。
「未完の物語」が終わると人はどのように変わっていくのか。「人は変えられないが自分は変えることができる」ことの一例である。

ケース K女史のプロフィールと行き詰まり①

 K女史は、現在53歳である。いまも10年前と同様に教師を続けており子供たちもそれぞれ元気に成長している。行き詰まり当時は、年齢43歳の高校の英語教師であった。結婚しており、3名の小学生の子供がいた。きまじめで内向的な性格であり、団塊の世代に属していた。彼女のそれまでの人生は戦後のベビーブームに始まる過激な競争の連続であった。受験戦争といわれた時代を懸命に乗り切り、紆余曲折を経て教師となり結婚して家庭も持った。そして、彼女なりにまじめに一生懸命に生きてきたのであるが、中年期を迎えて「鬱状態(depression)」で苦しむこととなった。


 この苦しみのなかで彼女は、教師としてそれまでに受けた国内外におけるさまざまなトレーニングや研修、精神医学や心理学、カウンセリング関連の諸知識によりその解決を図ろうと、いつもの懸命さで回復の努力を続けた。しかし、彼女の胸に重くのしかかるようないやな感覚は膨らんでいくばかりであり、エネルギーレベルも低く、何をするに身体的・精神的に苦痛を感じていた。それでも、いつもの生活をいつものように暮らすことに懸命であった。教師としての仕事も明るくさわやかに続けなくてはならないと頑張り続けていた。(つづく)

2015年4月13日月曜日

私の覚書 性格傾向(偏り)の一つ

私の性格構造の偏りは多々あるが、その中で特に改めたいと意識していることがある。それは、価値と規範に対する姿勢(Stance Toward Values and Norms)の偏りである。

ボディナミック自我機能の一つにPositioning(ポジショニング、位置)がある。この自我機能の意味するところは、a. 人生に対する姿勢、b. 力を維持すること、c. 自分の足で立つこと、d. 価値と規範に対する姿勢、e. オリエンティングである。

私は、価値観や規範に関することを語ることが弱い。人を恐れるあまり、自分の価値観やこうだと思う規範を語らないで過ごしてきている。このことは、骨格筋の萎えた弾力(回旋筋、erector spinae at the spinous processes - rotators)とも一致する。一致すると言うよりも、Bodymap(ボディマップ)により初めてその傾向を意識するようになった。


間違ったことを言うのではないか、不適切なことを書くのではないか、誰かを傷つけたり気分を害することを言うのではないか、攻撃されるようなことを言うのではないか、などとつい考えては機会を逃す。こういう姿勢を改めて、ともかく発信していくという努力を続けたい。

2015年4月10日金曜日

私の覚書 「物語」の味付け(その4)


一連の物語が終わるにつれて情動が豊かに感じられるようになる。
その情動と体の感じがよりつかめるようになってくると、バランスの良い選択も出来るようになる。このことは、アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説と一致している。この脳科学の知見とボディナミックスの発見が見事に一致しているところである。

これまでどのように生きてきてどのような物語をつむいできたのか。また、これからどのような物語の中で生きていきたいのか、その見通しも持てるようになる。そして、そのときにはもうセラピー・セッション(面談)は終わっている。

目の前にあった問題の苦しみは終わった、そして、これからの生活の見通しも立った。でも健康的で幸せな生き方の軌道に立ち戻ったにすぎない。これからどう生きるか、チャレンジはこの世を去って行くまで続くのである。


今現在の問題が、良い生き方へとつながるきっかけとなれば、それはとても素晴らしいことである。