2015年4月10日金曜日

私の覚書 「物語」の味付け(その4)


一連の物語が終わるにつれて情動が豊かに感じられるようになる。
その情動と体の感じがよりつかめるようになってくると、バランスの良い選択も出来るようになる。このことは、アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説と一致している。この脳科学の知見とボディナミックスの発見が見事に一致しているところである。

これまでどのように生きてきてどのような物語をつむいできたのか。また、これからどのような物語の中で生きていきたいのか、その見通しも持てるようになる。そして、そのときにはもうセラピー・セッション(面談)は終わっている。

目の前にあった問題の苦しみは終わった、そして、これからの生活の見通しも立った。でも健康的で幸せな生き方の軌道に立ち戻ったにすぎない。これからどう生きるか、チャレンジはこの世を去って行くまで続くのである。


今現在の問題が、良い生き方へとつながるきっかけとなれば、それはとても素晴らしいことである。

私の覚書 「物語」の味付け(その3)


さて、物語に伴う不自由さ・偏りは「ボディナミック自我機能」に現れる。「ボディナミック性格構造」にも現れる。「骨格筋」にも現れる。物語の中で人は行動したりしそこねたりもしている。それで、ある性格傾向、あるいは何時ものやり方としてさまざまな偏りが外部に現れでて人の目にもとまる。

ボディナミックスのセラピストは、ボディナミック自我機能・ボディナミック性格構造・骨格筋の知識をマトリックス(matrix, 母体、基盤、土台)としてもち、ボディノット(BodyKnot)というコミュニケーション・メソッド(道具)を使って対話を進めていく。クライエントとの対話と自分自身の身体や思いとの対話を同時進行で行いながら、骨格筋への働きかけやエクササイズ指導をしながらクライエントの支援を行う。

エクササイズを通してクライエントが身体の感じを取り戻していくよう、骨格筋への働きかけも積極的に行う。 物語を終わらせながらエクササイズをすることで、人としてのバランスが少しずつ戻ってくる。

そうしているうちに、次第に物語の味付けも変わってくる。その物語の味付けと香りは、料理のように他の人にもその違いが伝わって行くようになる。


そして、その分だけ「心の平安」と「生きる希望」がもどってくる。また、自分だけではなく周りの人たちへも目が向くようになってくる。家族や職場での人間関係も変わってくる。

2015年4月9日木曜日

私の覚書 「物語」の味付け(その2)


なんらかの「行き詰まり」が訪れてきたときに、人は初めて「物語」を意識し始める。目の前の出来事をきっかけとして、それまでに体験した出来事にも目を向けるようになる。それらの出来事あるいは物語には、同じような香りと味付けが漂っている。

まだ終わっていない話(未処理の出来事)であれば、丁寧に向き合ったのちに手放していきたい。援助者は、それらの終わっていない話を一つずつ取り上げて終わらせて行く手伝いをする。話には情動がともなっているので、泣いたりわめいたりもする。それはとても自然なことである。

本人にとってはなるべく触れないでおきたいことであり、恥ずかしいことだと思っていることでもある。クライエント本人の意志を尊重し、許可を得ながら共同作業を進めていく。

(援助者サイドの問題:どのような人に対してでも敬意を払って相対することができないのであれば、援助者自身の物語のプロセス(取り組み)をまずすることが先決問題である。

援助者は、自分自身が通ってきたところまでしか他者の援助は出来ない。逆に言うと、援助者本人が問題を体験し通ってきて成長をしたところまでは他者の援助が可能である。


クライエントに対する反応に援助者自身が呑み込まれたり、辛い話を聴いてその度毎に辛くてたまらなくなるのであれば、援助者はスーバーヴィジョンを受けて、まず自分の取り組みをすることが肝心である。)

私の覚書 「物語」の味付け(その1)


あなた(クライエント)の物語(ストーリー, story)を終わらせる手伝いをするという視点から取り組みの流れを考えてみる。

あなたは生まれてからこれまでずっとある物語を生きてきている。あなた独自の出来事の連続の中で今も生活している。

問題やトラブルを抱えている人。幸せな人。いずれにしても、人はある傾向の味付けをもった物語を毎日生きている。

さらに言うならば、その味も香りもいつも同じである。物語の味付けがいつも同じなのはわけがある。それは、あなたが自分で選んでいる味付けだからである。好むと好まざるとにかかわらず、同じもの似かよったものを選んでいる結果なのだ。自動的に、意識することなく選んでいる。

ところで、その味は12歳ごろには決まる。

性格構造も12歳までにその原型が出来上がる。そして、そのころある信条をあなたは持つようになる。信条は信念、思い込み、 ビリーフ(belief)などとも言われている。あなたの生活はその味付け(信条、思い込み)がベースとなっている。歳を重ねても味付けは同じであり、自分で味を変えたいと思わない限り変わることはない。(その2につづく)

2015年4月6日月曜日

私の覚書 子育て

ボディナミック自我機能の一つに境界線がある。境界線(バウンダリー)が欠落していると人間関係はかなりきつい。

また、「待てるということ、我慢できるということ」は「境界線をバランス良く管理して生きる」ということに通ずるところがあると思う。

我慢すること、待てること、これらのことは境界線の管理に欠かせない要素である。我慢すべきところで我慢ができない。あるいはしなくていいところで我慢することもある。その反動も出る。また、それらのどちらかの見分けがつかないこともあろう。

いずれにしても、その結果、人間関係は不調となる。

自分自身との関係において、また人との関係で「待てない」人、「我慢できない」人は境界線の管理が上手く出来ない人と重なる。そして、幸せになる可能性が低くなる。

お節介したいのを我慢してみる、口出ししたいのを我慢してみる。何か欲しいものを買うのを待ってみる。「待つこと、我慢すること」を工夫してみたい。待てない自分であっても、幼児期に待てる子に育ててもらっていないことを嘆いているだけでは情けない。


*物事を短絡的に理解する傾向のある母親へのメッセージ:仕事優先ではなく専業主婦として十分な時間を子どもに捧げているから、私の子どもは大丈夫だ思わないこと。過保護・過干渉の母親、自分優先の母親、スマホ依存の母親、情緒不安定などの母親 etc.には別の側面からの自省と子育て対策を促したい。自分がしていることを短絡的に「良い悪い」と思うのではなく、「どのようであるのか」を確認するとよい。すべてはそこから始まる。

私の覚書 母親が育てる vs 保母さんに子育てしてもらう

マシュマロ実験の様子をYou-tubeで見ることが出来る。
しばらく前のことであるが、そのオリジナルの実験結果について、ボディナミックのワークショップで講師のLisbeth Marcher から次のように聞いた。

我慢して待てた子は、大きくなってから幸せにになった。
我慢できなかった子は、大きくなってからいろいろと大変な人生を送ることとなった。

自分の子どもは健康で幸せになってもらいたい、と親は懸命に子育てする。しかし、なぜか結果的に自分が「毒親」となることも多々ある。懸命に働き子育てしたのにどこに「足りないところ」があったのか。

ボディナミック性格構造は健康に生まれた600人の赤ん坊を12歳になるまで追跡調査してまとめたものである。性格がどのようにできあがっていくのかが具体的にまとめてある。3歳児神話だなんだかんだという前に、この調査結果を知り、どのように子育てをしていくのかを自分で考えてみる必要がある。


ボディナミックス(Bodynamic system)は、日本では専門家にもまだあまり知られていない身体心理療法であるが、ヨーロッパでは身体心理療法のトップランナーである。ネット検索で確認できる。

私の覚書 祈り

 祈りを大切にしたい。順境・逆境のいずれであっても感謝の祈りを忘れない生活を送りたい。祈りは、自分を超える大いなる存在との対話であり、その存在のイメージは人それぞれである。(例えば、神様、仏様、観音様、大自然、大宇宙、クリスチャンであればイエス・キリスト、自助グループではハイヤーパワー。)
 人は誰でもスピリチュアル(霊的)な存在である。だから家族や友人の病気回復のためには誰でも祈るし、墓参りをするときは亡き人に語りかける。また、人の力ではいかんともしがたい状況・状態にあるときにも自然に人は祈る。

 スポーツ応援においても祈っているファンの姿は珍しくない。つまるところ、祈るしかないときには人は祈っているのである。